多文化共生・統合人間学プログラム4期生 佐藤寛紀
目次
1. はじめに
2. 研修日程
3. 考察
1. はじめに
令和3年度3月25日から27日にかけての3日間、徳島県東みよし町での町づくり視察研修が行われた。本研修では、同町役場職員及びその関係者の方々に、同町の町づくりの取り組みや地域の歴史・伝統文化に関して紹介をいただくと共に、同町をはじめとした様々な地域で町づくりに携わる関西学院大学教授の山泰幸教授が運営に携わる哲学カフェや本学東アジア藝文書院主催の第6回 EAA「民俗学×哲学」研究会に参加し、町づくりと地域、町づくりと哲学といった内容を学んだ。本報告書では、研修の日程及び内容と、そこから得られた町づくりに関する考察を述べる。
2. 研修日程
2.1 初日(令和4年3月25日)
2.1.1 徳島入り
午前8時55分羽田空港発、午前10時15分徳島阿波おどり空港着の旅客機にて徳島県入りした。そして、徳島阿波おどり空港から車で約1時間かけ移動し、研修地である東みよし町に到着した。この際、同町役場職員の方に運転していただいた。
2.1.2 にし阿波のうどん
正午ごろ、昼食を取るために東みよし町足代にある「あしろや」に到着。予定では近くにある「うどんの穂」において昼食を取る手筈だったが、生憎の臨時休業であった。四国でうどんと言えば香川の讃岐うどんが全国的に知られているが、東みよし町が属するにし阿波地域にもうどん文化が根付いている。味付けは関西地域にも似た出汁とみりんが効いた味付けで、コシがあるうどんが特徴である。また、この地域のうどん屋には入口におでんが置かれており、うどんとおでんを共に食べる習慣があるらしい。また、おでんは甘い味噌をかけて食べられている。
2.1.3 加茂の大クス訪問
東みよし町加茂には樹齢千年を超えるとされる楠の大木があり、「加茂の大クス」と呼ばれている。この大クスは国の天然記念物に指定されており、平成19年時点では根回経23.35 m、幹経16.72 m、樹高26 mの大きさを誇る。その姿は宮崎駿監督作品の「となりのトトロ」を彷彿とさせるような雄大なものであった。この大クスの周りは広場となっており、花畑や地域の憩いの場として活用されていると聞いた。
2.1.4 町長表敬訪問
午後1時ごろ、東みよし町役場に移動し、東みよし町長を表敬訪問させていただいた。実際には、町長はご都合が合わず、副町長に対応していただいた。副町長からは同町やにし阿波地域の特性や町づくりに関する意気込みなどを伺った。
2.1.5 東みよし町イントロダクション
午後2時ごろ、東みよし町吉野川ハイウェイオアシスの2階に新規開業予定の吉野川テレワークオフィスに移動し、町の産業や歴史、抱える課題、町づくりの取り組みについての講演を聞いた。その後、東みよし町の中学生と対談し、大学院生の立場から高校・大学受験や大学院とは何かといった内容について相談に答えさせていただいた。
2.1.6 東みよし町役場職員との交流会
午後6時ごろ、東みよし町に隣接する三好市西祖谷山村閑定にある「民宿お山荘」に移動した。食事を済ませた後、東みよし町役場職員の方々と山教授との交流会が催され、親睦を深めた。交流会の中では阿波踊りの話や、町の行政を担ってきた中で感じる町の課題の話、また、若手職員が今後の町行政にどのような関わりをしていくのか、などの深い話を伺うことができた。
2.2 2日目(令和4年3月26日)
2.2.1 祖谷地域の見学
宿を後にし、東みよし町役場の方々に祖谷地域の案内をしていただいた。当初の予定では、源平合戦に由来する「かづら橋」や落合集落の見学をする予定であったが、生憎の雨によって予定変更となった。まず訪れたのは歩危(ぼけ)地域にある歩危マートと言う商店である。こちらは食品や日用雑貨を取り扱う地域の商店であった。
その後、道の駅大歩危にある妖怪屋敷を訪れた。この地域には数多くの妖怪伝説が残っているとされ、妖怪屋敷はそれを題材にした展示施設である。妖怪屋敷に展示されている妖怪の像は地元住民の手作りらしいが、非常に造形が優れていた。妖怪屋敷には石の博物館が併設されており、石の博物館にはこの地域地質を代表する三波川帯の岩石と中央構造線に関する展示があった。その後、四国八十八ヶ所の一つである林下寺を訪れた。林下寺は性器にご利益がある寺とされ、性器を模った彫刻や絵画などの数多くのお供物があった。
2.2.2 おおくすセミナー
初日に訪れることができなかったうどん屋「うどんの穂」で昼飯(案の定、おでんが置いてあった)をとり、初日にも訪れた加茂の大クスの隣にある「おおくすハウス」に移動した。こちらでは「おおくすセミナー」というセミナーが山教授が関わって開催されており、今回は本学の梶谷教授が講演を行った。また、今回の講演は本学東アジア藝文書院の第6回 EAA「民俗学×哲学」研究会にもあたる。講演内容は梶谷教授がこれまでに行った哲学(現象学)での研究と民俗学がどのように繋がるか、といった内容であり、暮らしの中にある身近な(民俗学的)事柄から、それは何かという(現象学的)事柄へと一連の議論が展開された。
2.2.3 美濃田の淵キャンプ村
2日目の宿は東みよし町の吉野川の川沿いにある美濃田の淵キャンプ村であった。そこからは吉野川のおそらく三波川帯の変成岩の間を水が流れていく景色がよく見えた。夕食は野外での焼き肉であり、初日に出会った地元の中学生や、京都からいらしていた防災工学関係の研究者と談話する機会を得た。
2.3 最終日(令和4年3月26日)
2.3.1 哲学カフェ
東みよし町加茂にある喫茶店パパラギにて定期的に催されている哲学カフェに参加した。この哲学カフェも山教授が関わって催されている企画である。哲学カフェは毎回何かしらのテーマについて参加者各々の考えを共有する会となっており、今回のテーマは「世界意識」であった。今回は本学や京都からの参加者が多く、また人数も多くなっていたことから、自己紹介に多くの時間が費やされ、テーマについての意見交換には時間が回らなかった。しかし、地元からの参加者も5名ほどいらっしゃった。
2.3.2 東みよし町歴史民俗資料館見学
昼食後、東みよし町歴史民俗資料館見学に移動し、地域に伝わる神楽や浄瑠璃、縄文遺跡の出土物に関する展示を見学した。
2.3.3 法市地域の見学
吉野川の北側に位置する法市地域に移動し、地域を見学した。法市地域はほとんどが急斜面の森であり、家が所々にあるような変わった集落である。まず訪れたのは山の頂きに造られたヘリポートである。このヘリポートは元々、一人の地域住民が地域の災害対策として個人的に造成したのが始まりで、その後、自衛隊による協力や町の支援があり、今では立派なヘリポートとなっている。
次に訪れたのは法市農村舞台である。この農村舞台は神社に併設されており、一度廃れてしまったが、その後地域住民の力によって再興された歴史を持つ。再興後は地元住民による伝統芸能の上演がなされている。
最後に訪れたのはここまでの案内を買って出ていただいた役場元職員の方を中心に営まれている畑である。この畑は世界農業遺産に認定されている「にし阿波の傾斜地農耕システム」の一部である。見学した畑は傾斜地によくある水平な畑が階段状に並ぶ段々畑ではなく、斜面をそのまま畑にしており、この地域の農耕文化の特徴をよく表しているという。
2.3.4 締め
三日間に及ぶ研修のまとめの会を吉野川ハイウェイオアシスにおいて行った。研修に参加したIHS学生3名がそれぞれに研修で学んだことや東みよし町に対する所感などについて共有した。その後、徳島空港に移動し、午後19時25分徳島阿波おどり空港発、午後20時40分羽田空港着の旅客機にて、東京に戻った。
3. 考察
本研修はうどんを食べる経験や町の紹介、役場の方との交流を通して東みよし町の外観を見て学びつつ、東みよし町の町づくりと民俗学や哲学といった学問がおおくすセミナーや哲学カフェを通してどのように結びついているのか、もしくは結びつきうるのかを体験を通して考える時間であった。そうした時間を過ごした上で、本研修中で梶谷教授、山教授から出た「身体性のある哲学」という言葉が非常に印象に残っている。この言葉の意味を完全には理解していないが、哲学という他のどの分野よりも考えることに重みがある学問が、考えるためには身体、すなわち、自らが形を持ち、世界とやり取りすることが必要であるということを意味していると捉えた。身体性は意識の研究においても長年議論されてきた対象であり、近年では所謂「体」にとどまらず道具や身近なものも身体の一部であるとする意見もある。考えることに重きを置く哲学と考える主体となる意識が共に身体性があることの重要性を議論していることに驚くと同時に、それが哲学(ないし学問全般)と町づくりを結びつける話の中で現れたのは衝撃的であった。
一方で、それはこれまでのIHSでの研修を振り返れば当たり前のように思われる。IHSではこれまでに様々な地域で研修を行い、その地域に暮らす方々の日々の暮らしの場や暮らしに近づこうとしてきた。そして、そうした研修から自らの専門性や分野横断的思考がどのように地域課題の解決に活かされるかを考えることが求められてきた(と思われる)。しかし、その度に(恐らく多くの)学生や同伴したスタッフは自分の研究や分野には関係がないと感じてきたことだろう。そうした我々の「学智」や「思考」には身体性があっただろうか。少なくとも私には無かったし、未だに無い。本研修でまず始めに町を見て、そして哲学(学問)と地域の暮らしとを結びつけようとする取り組みを体験し、その後再び町を見るという一連の時間を過ごし、その上で身体性の概念が現れたことで私はそれを強く実感した。比喩になってしまうが、町を目の前にして見ることでそれらに触れうる何かを薄く感じ、それを感じながらおおくすハウスでモヤモヤし、再び町を見た時にそれらに触れうる何かを通して町に少し触ったことで身体を得て、まだぎこちないながら初めて「知れた・考えられた」と感じた。そして、世界の中に自分の身体がないことには、自分の学智や思考は空に浮いたまま何も知っておらず、考えていないのではないか、だからこそ、私は自分の研究や分野には関係がないと感じてきたと今更ながら気が付いた。
しかし、そうした身体性がない学智も、元々は日々の暮らしの中で身体性を持った知や考えから生まれたのは言うまでもない。本研修の複数軸の一つであった民俗学や哲学(の一部)の歩みの始まりには、ある所のある人々の日々の暮らしの中の物事が素(基)としてあるだろう。また、理学や工学も日々の暮らしの中での見聞きした物事がその根元にあるだろう。しかし、その暮らしで見聞きしたものが学問に発達していく中で、対象は単純化や抽象化によって理解され、普遍的理論やその応用技術が確立されてきた。そのように発達してきた学問を町づくりに活かそうとする試みは現在進行形で同時多発的に行われているが、それらが特筆すべき成果を上げたということはあまり耳にしない。そうした試みの多くは学問の世界で培われた技術や方法論をそのままないし少しだけ調節して町に導入する形であり、研究室の中で上手くいったことが研究室の外では上手くいっていないのである。その結果、産官学連携の町づくりを謳う企画は、学智を持つ者が学智を持たない者を消費して「学智を使った」という実績を生み出す企画となっている。しかし、立ち帰れば、学問は元々は日々の暮らしの中で身体を持ってして見聞きした複雑で唯一の物事を単純化・抽象化・普遍化することで世界を理解しようとしてきたのであるから、学問の上に成り立つ身体性のない学智の描像は日々の暮らしの描像の前では複雑さが全く足りないのではなかろうか。それにも関わらず、現代の学智は普遍で剛健であるため、複雑な日々の暮らしがぶつかって来ても、何も感じないほどに身体がなく、鈍感になってしまっている。「学智を使った」という実績を生み出し続けている身体の無い幽霊達はもう一度身体を取り戻し、知り、考えるべきではないだろうか。そして、それによってこそ、学智は町づくりに取り組めるのではないだろうか。