“Critiquing Diversity” 講演会シリーズ:“The Geographies of the Sharing Economy” 報告
堀江 郁智

“Critiquing Diversity” 講演会シリーズ:“The Geographies of the Sharing Economy” 報告 堀江 郁智
日時
2016年11月29日(火)19:00 - 20:30
場所
東京大学駒場キャンパス18号館4階コラボレーションルーム3
講演者
クラウディオ・ミンカ Claudio MINCA (ワーヘニンゲン大学文化地理学研究グループ長教授)
マーチャ・ロエロフセン Maartje ROELOFSEN (カール・フランツェンス大学グラーツ博士課程)
主催
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」教育プロジェクト5「多文化共生と想像力」

2016年11月29日(火)、ワーヘニンゲン大学のクラウディオ・ミンカ氏とカール・フランツェンス大学のマーチャ・ロエロフセン氏に"The Geographies of the Sharing Economy"という題で講演いただいた。講演では、まずミンカ氏にシェアリング・エコノミーをめぐる理論的背景を概説していただき、次にロエロフセン氏にシェアリング・エコノミーの実例であるAirbnb(エアービーアンドビー)について解説いただいた。

ミンカ氏は、ツーリズムと生政治に関して、ツーリストのコミュニティ、健康・福利・ツーリズムにおける身体の管理、ツーリスト用のキャンプなどを対象に思考していると、そして「生政治」という用語で「人間の身体の政治的産物と管理」を、そして「最高権力を可能にする戦略」を指していると述べている。そして、イタリアの政治哲学からジョルジュ・アガンベン、アントニオ・ネグリ、ロベルト・エスポジトの名前を挙げている。とくにエスポジトについては、「コミュニケーションの倫理」という言葉を引き合いに出すなど重視している。ミンカ氏によれば、この三者には、失われうる、「私たちに一度は帰属していた何か」として再発見される善・価値・本質が、共同体の問題を論じる際に賭けられているのである。その論調には、現代の個人主義に対する批判という意図が垣間見られるように見える。

このような背景を踏まえて、ミンカ氏はツーリストのコミュニティ(共同体)を論じるのであるが、その際にミンカ氏は「出来事」として共同体を見なしている。ミンカ氏は、空間-時間的な次元の共有という視点から共同体を照らし出すことで、現代の個人主義が広がる国々においていかなる意味で共同体は維持されうるのか、という問題を考えているのだと思われる。

ところで、ミンカ氏が参照していた思想家の一人であるエスポジトは、「共同体とニヒリズム」(『近代政治の脱構築──共同体・免疫・生政治』 岡田温司訳、講談社、2009)のなかで、「共有(コンデイヴィジオーネ)」という概念において、「ともに(コン)」は、「区分=分裂(デイヴィジオーネ)」とまさに結びついていることを指摘している(前掲書、89頁)。共同体は、スタートの場であるのだが、そこにはすでに「他者の側からの不可触性を保証することの境界を、みずからの個性もろとも失ってしまうということ」、つまり「モノの虚無へと滑り落ちる」ことが示唆されている(89-90頁)。ニヒリズムは、共同体に本源的に含まれた虚無を否定するところから、つまり共同体の虚無を排除するところから生じるのである。その意味で、ニヒリズムは、「モノの虚無の虚無」である(90頁)。共同体の虚無に関して、ミンカ氏は「無(nothingness)」を共有することがむしろ「何らかのもの」を共有することにつながる、という立場でツーリストの共同体に可能性を見ているのだと思われる。そして、「何らかのもの」が生れる可能性を、「歓待(hospitaility)」に見ているものと思われる。

そのミンカ氏は、「ローカルになること(becoming local)」、具体的にはスラムを訪れたり、地元の子どもたちや共同体を訪れたりすることを推奨している。「人々の生活に浸透すること」は、そうした営為によってしか生まれない。ミンカ氏は、自身の哲学・思想的基盤を精緻に解説しながら、なぜツーリズムなのか、なぜそれが政治的な価値を持つのか、引いてはなぜ共同体なのか、ということを短時間のうちに説明することに成功したと言えよう。

ミンカ氏による理論的背景の説明を踏まえて、Airbnbを紹介したロエロフセン氏の講演内容の要点を検討していこう。ロエロフセン氏は、「協同の/シェアリング・エコノミー(collabortative/sharing economy)」は「経済システムであり、それは十分使われていない財の価値を明るみに出す。そして、それは「持っている」を「欲しい」とマッチさせるプラットフォームを通じて、効率性とアクセスをより良くすることを可能にする仕方で行われる」、と定義する。Airbnbは、「オンラインの歓待のネットワーク」であるので、マルチチュード的である。またそれは、「伝統的なツーリズム産業を外側に追いやる」。したがって、そこでは「マス・ツーリズムへの批判」と「場所と文化の商品化への批判」が賭け金になっている。間主観的な次元で追求できるオーセンティックな体験を求める需要に対応して、Airbnbのようなウェブサイトが設立されたのだろう。

ただし、Airbnb には、いかにして安全が確保されるのか、という問題がある。安全の感覚は、主体を危険にさらしうる、主体にとってまったく異質な環境のうちでは得られない。そこに何らかの信頼関係がなければ、その感覚は生じないだろう。ロエロフセン氏の説明によれば、レビューシステムを充実させることで、あるいはスーパーホスト・プログラムをつくることで、Airbnbは差し当たりこの問題に対応しているようである。だが、それは信頼関係の素地を醸成するのに十分だろうか。今のところ、現地でツーリスト(ゲスト)がどのようなホストに巡り合うのか、またホストの側がどのような利用者に巡り合うのか、両者がどのようにして空間と時間を共有するのか、という点に関しては現実に両者が出会う時点まで不確定なままである──あるいは、両者は出会うことなしに鍵の受け渡しだけが行われる。

では、シェアリング・エコノミーを代表するAirbnbの可能性はどこにあるのだろうか。この問いの答えは、現時点では素描的なものとなってしまう。例えば、Airbnbで提供される体験が、主体を危険にさらすものではなく、何らかのオーセンティックな「出来事」を主体と客体(ツーリスト(ゲスト)とホスト、あるいはその逆)の側に起こすものであること、一期一会であったとしても、そこに「共同体」の感覚が生じること。もちろん、法整備の問題や、それが新たな「社会のアルゴリズム化」ではないか、という問いは避けては通れない。だが、そこには、あらゆる異質性の壁を越えた交流の可能性が夢見られているのかもしれない。

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報告日:2016年12月16日