「天然樹脂であるウルシの採取──人の営みである工芸との接点」報告
森山 剛志

「天然樹脂であるウルシの採取──人の営みである工芸との接点」報告 森山 剛志
日時
2016年9月12日(月)−13日(火)
場所
茨城県常陸大宮市(有)ウエア・ウッド・ワークとその周辺)
講演者
大子漆八溝塗 器而庵
有限会社ウエア・ウッド・ワーク; 辻 徹 先生
主催
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」教育プロジェクト3「科学技術と共生社会」
協力
(有)ウエア・ウッド・ワーク

今回のウルシ研修を通して、私は伝統産業が抱える構造的問題に圧倒されて暗い気持ちになったのですが、同時に質の良い漆器の肌触りと光沢・ウルシの名産地である大子町が持つ「里山の美しさ」といった魅力に強く惹かれました。ポジティブ/ネガティブの相反する気持ちを抱かされた研修を、ウルシ関連産業の生産プロセス・ウルシ採集地の美しさ・大子町の魅力の3つに分けて振り返ります。

ウルシができるまでのプロセス

木工職人でもある辻先生はウルシの採集・精製・塗り仕上げまでのプロセスを「上流から下流まで」となぞらえてお話下さいました。漆器産業をめぐるプロセスの最上流であるウルシ採集と最下流である漆器を目にした研修初日の段階で自分もその言葉の意味を漠然とイメージできたと思いました。ですが、プロセスの中流を深く学んだ研修2日目には、伝統工芸を守るということは1人の努力だけではなんともし難い深刻な構造的問題を抱えていると気付かされて「上流から下流まで」という言葉がより具体的な形を帯びるようになりました。

ウルシ掻きから漆器を作るまでの各行程には多くの専門用具が必要であり、ウルシを掻くための器具を作る職人・ウルシを精製するために漉す和紙を作る職人・ウルシを塗るへらを作る職人など、各プロセスを支える様々な職人がおられることを学びました。「ウルシを掻く器具を作れる職人がほとんどいない」、「漉し紙の値段が30年前から10倍になった」、「へらの材質が天然ものからプラスチックへとどんどん変わってしまう」、「刷毛に用いる人の髪という素材に日本産はもう存在しない」というウルシ関連産業を巡るお話は非常に印象的でした。漆器産業が下火になってしまうと同時に器具生産も下火になってしまう。用具の生産量が減ってしまうと購入費用も高くつく。結果として漆器産業を再燃させるコストが非常に高くついてしまうという負のスパイラルが辻先生のお話から見えたからです。

漆器産業を巡る負の構造に当初は驚いたのですが、冷静に周りを見渡すと他の伝統産業も同じような問題を抱えているのではないでしょうか。例えば、銭湯のペンキ絵も同じ負のスパイラルに陥っています。現在、銭湯のペンキ絵を描ける職人は3人しかいないにも関わらず、銭湯自体が減っているのでペンキ絵需要もなくその伝統技能を伝承できる機会がない。伝統技能を伝承しようにも実践できないといった問題を抱えています。これは、ウルシを掻く器具職人の後継者がなかなか見つからない問題と近いでしょう。

この負のスパイラルを解くための策として、現状は助成金が有効とされています。しかし上記の話を勘案すれば、漆器職人など完成品を制作する人だけでなくその関連産業をも助成する必要があるでしょう。公の財源に限りがあるなかで助成金政策にも限界がきっと訪れる。他の解決策はないだろうかと強く思いました。

ウルシ採集地で感じた美しさ

辻先生は研修当初から「木を傷つけている」という言葉を再三強調しておられました。それに対して、「自然の恵みを頂いてウルシは出来ている」というニュアンスを強調しているのだと私は勝手に解釈し、「ウルシの木の命を削る申し訳なさ」を感じていました。  

しかし、実際に採集地でウルシを目にして沸いた感情はそれだけではありませんでした。自然の恵みを継続的に享受する知恵の象徴でもあるウルシ掻き傷の幾何学的模様・3メートル間隔で丁寧に植えられたウルシの木々と木漏れ日・下草が丁寧に刈り取られて腐葉土が露出した地表は筆舌に尽くしがたい美しさでした。特に、職人さんの掻くクセとそれぞれの木々の特徴が組み合わさってできるウルシの掻き傷にはひとつとして同じものがなく、時間を忘れて木、1本1本を観察してしまいました。大子町で暮らしていらっしゃる方には日常の風景なのだと思いますが、「里山の美しさ」という言葉が濃密に伝わる空間を体験できたことは私にとって非常に貴重な時間でした。この瑞々しい美しさは、この研修に参加しないと絶対に体感できないことだったと思います。

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3メートル間隔で植わったウルシの木々と腐葉土の露出した地表
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1本の木を有効に活用する知恵に溢れた幾何学的な掻き跡

ウルシに留まらない魅力。絵に描いたような「里山」大子町

前節まではウルシ研修で得た知見を前面に押し出していましたが、この節では私の専門領域と絡めた意見を中心にさせていただきます。  

地方創成が謳われる今日、東京などでの都会暮らしの対極としてほどほど便利な田舎暮らしが頻繁に話題にのぼります。近年若者に人気の移住先として、長野県上田市・高知県土佐市・山口県周防大島町などの名前がよくあげられます。それらの市町村がかかげる「田舎」とは、野山や川などの自然に人間が手を入れ、適度に移住者が利用できる空き家がある、そして、果物・水などを地産地消できる環境に恵まれている「里山」をさすことが多いようです。

ここで大子町のある奥久慈エリアを振り返ってみると、沈下橋・鮎釣りに象徴される久慈川の清流、ウルシ採集地のような人間が自然に手入れして作り出される美しい里山の景観、地域内に空き家が点在すること、豊かな食文化、更には都心とのアクセスも悪くない、と人気の「里山」になるための条件は揃っているように見えました(外部から1泊2日で地域を訪れた者による偏見であることは重々承知です)。また、旅館の従業員や大子町のNPOの方の振る舞いや茨城県北芸術祭に参加していることなどに地域を盛り上げる人々の動きも垣間見えました。このような移住を睨んだ地域を盛り上げる流れと辻先生が精力的に取り組んでおられるウルシ関連産業が組み合わさったら新たな地方創成のかたちが生まれて面白いかもしれないと、学部生の頃に都市開発を学んだ身としては感じざるを得ませんでした。

農業・漁業といった地域経済を支えてきた一次産業に従事する地方への移住者が多いのですが、奥久慈エリアでは伝統工芸品を支えるウルシ産地という他にはない特色があります。「夏はウルシを育て冬は漆器つくりに参加して展覧会を開く。大子漆という伝統産業を継承する。」といったライフスタイルを求めての移住は奥久慈でしか実現できないはずです。このようなプロモーションには、たとえ移住に至らなくても、質の良い漆器を求める人・漆器産業をめぐる現状に関心を持つ人が増えるといった効果が期待できると思います。インターネットで「茨城県 奥久慈地方」と検索したところ、袋田の滝・竜神橋のみならずドライブしながら目にした風景が美しかったといった観光地としての声は散見されましたが、ウルシについてはなかなかヒットしませんでした。地方移住の魅力として「大子漆」を掲げることで、この検索結果が変わっていき漆器産業に関心を持つ人が増えたら良いなと強く思いました。

私は、昨年度のウルシに関する授業を履修しておらずウルシに関する基礎知識をほとんどもちあわせておりませんでした。最後になりましたが、そのような私にも木工やウルシに関する深い造詣を惜しみなく伝えてくださった奥窪先生・辻先生、この研修の準備を担ってくださった渡邊先生・水野事務局員の皆様には心より感謝申し上げます。

今回の研修の主目的であるウルシに関連する造詣のみならず、茨城県北部にこのような美しい里山が広がっているのだという思わぬ発見を、今後私の専門知と絡めていけると良いなという思いが大子町の美しい情景と共にじわっと暖かく体内に広がっております。

報告日:2016年9月13日