香港研修「香港で考える東アジアの共生 -2017-」報告
半田 ゆり

香港研修「香港で考える東アジアの共生 -2017-」報告 半田 ゆり
日時
2017年2月20日(月)〜2月24日(金)
場所
香港市内および周辺地域
主催
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」教育プロジェクト2「共生のプラクシス──市民社会と地域という思想」
協力
香港城市大学

2017年2月20日(月)〜24日(金)、教育プロジェクト2「共生のプラクシス」主催で、香港・マカオ研修が行われた。本研修は、香港城市大学中文歴史学部と合同の国際カンファレンスへの参加を中心とし、香港および隣接するマカオの歴史と文化について学ぶことを目的とした。

到着翌日の2月21日に行われたカンファレンス “Cultural Diversity, Exhibition, and Exchange from a Global Perspective” は、東大からの学生4名に研究員1名を加えた5名と、香港城市大の学生4名が発表を行った。筆者は第1セッションにおいて、“Art Becoming Propaganda”と題し、15年戦争中に日本政府によってプロパガンダに動員された日本人写真家・淵上白陽について論じた。同じセッションでは、中国の現代インクアートにおける筆記の伝統との間の関係性についての発表、中国の「個人著述目録」に見られる中国と西洋のビブリオグラフィーの形式の融合を取り扱った発表があった。午後の第2セッションは映画を主題とする2つの発表が行われた。ひとつは1941年に制作されたアニメーション映画 “Princess Iron Fan”を取り上げ、同映画の子どもを教育する国家的なアジェンダとしての性質について論じられた。もうひとつは、1964年の “The Last Woman of Shang” に見られる映画セットの建築的特徴への着目を通じて、60年代の香港映画において、中国の伝統性がいかに作られていたかが論じられた。続いて第3セッションはIHSの学生2名の発表で、ひとつは日本の地域コミュニティの事例研究を通じて、日本における「多文化共生」の概念がどのように実践されているのかを議論するものであった。もうひとつは、沖縄の1960年代の学生運動において活動していた中屋幸吉を取り上げ、彼が自由と平和への希求の中で展開した格闘を論じるものだった。第4セッションは、16世紀のスペイン領マニラにおける中国系フィリピン人の集住や貿易の様子を論じたものと、19世紀後半から20世紀前半にかけて、明治時代の日本に滞在していた漢人留学生が、いかにして中国における自治政府の思想を練り上げるにいたったかを論じた発表によって構成された。

筆者の発表に対しては、セッションのチェアを務められた韓子奇教授をはじめ、香港城市大の先生方から様々なコメントをいただくことができ、大変参考になった。とりわけ、香港はイギリスによる長年の支配を経験した場所でもあり、アジアにおける帝国主義の様相がいかなるものであったのか、それを行使する主体が西欧の国家であった場合と日本のようなアジアの国家であった場合にどのような違いが考えられるのかといった観点を共有しつつ議論をすることができた点が有意義であった。同じセッションに含まれた他の発表も、年代や対象は異なっていたが、議論の組み立て方や提示する事例の選択等について参考になるところが多かったし、発表後も日本と中国、両国の文化においてどのように西欧的なるものが導入されていったのかについて、発表者と議論を交わすことができた。カンファレンス全体では、すでに見たようにかなり多岐にわたる議論が交わされたが、教授陣の知見の広さと指摘の鋭さ、議論のレベルの高さが際立つものであった。

翌22日は午前からマカオに船で渡り、マカオ歴史博物館や16世紀にイエズス会が布教の拠点としていた教会の遺構などを訪れた。イエズス会の宣教師であるイグナティウス・ロヨラやフランシスコ・ザビエルの名は日本にも広く知られているが、彼らが建てた教会のファサードは初めて見るものであり、大変興味深く感じられた。3つのカラムに大分でき、中央部が高くなった全体の構造や、楽器を吹く天使や聖母マリアの彫像が配されているところは西欧の様式によく似ているのだが、部分的に椰子の木や中国の龍が彫り込まれ、中国語で説明が添えられているのである。キリスト教建築物において西欧とアジアの要素が混じり合っているさまは、異国の地における宣教を効果的に進めるために、ポルトガルからやってきた宣教師たちが試みた視覚的な「融合」を示していた。

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23日は香港城市大の程美宝教授による香港のフィールド・トリップが行われた。筆者は始め、香港は港町であって、「海」のイメージが強い都市だと考えていたのだが、空港から市内への車に乗車してほどなく、思いのほか急な斜面に囲まれた、「山」の都市でもあることに気がついた。こうした地理的な構成は市内のミクロな地形にも現れており、実際に急な斜面での生活を快適にするために、屋外に長いエスカレーターが作られているほどである。常に湿潤で、夏場は厳しい暑さに見舞われる香港において、こうした山の上の涼しく乾いた土地は、つねに香港を植民地とする支配者たちが住まう地域だった。市内に残された英国国教会や英国式庭園は、現在は誰でも訪れることのできる場所となっている。また植民地政府が置かれた建物は、1941年から始まった日本による支配によって一部が立て替えられ、屋根は瓦、壁は白塗りの奇妙なアジア的様式を示していることも興味深かった。坂を下り、文字どおりダウンタウンへと向かうと、香港市民が死にゆく人を看取るために独自に建設したKwong Fuk Templeや、土地の神を祀った小さな社などを見出すことができる。植民地として他者からの支配を受ける中で、元々その土地に暮らす人々が独自の工夫を凝らし、都市空間にささやかな、しかし確かな介入を行った痕跡が、今も息づいていた。

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今回の香港研修では、カンファレンスにおける学術交流に加え、香港という土地そのものについても参加者とともに深い学びをすることができ、大変貴重な機会だったと考えている。まさに「多文化主義」を表題に掲げるカンファレンスが、この場所において開催されるべき理由が納得されるものであった。

報告日:2017年3月12日