都立高校での教育現場をめぐる研修・夏合宿 報告
西村 啓吾

都立高校での教育現場をめぐる研修・夏合宿 報告 西村 啓吾
日時
2016年8月24日(水)〜8月25日(木)
場所
国立オリンピック記念青少年総合センター
主催
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」教育プロジェクト2「共生のプラクシス──市民社会と地域という思想」
協力
東京都立雪谷高等学校

「都立高校での教育現場をめぐる研修・夏合宿」について報告する。本研修で報告者は、東京都立雪谷高等学校の夏季勉強合宿において開講された「書き方講座」にチューターとして参加した。「書き方講座」は、IHSのユニットリーダーも兼担されている東京大学大学院総合文化研究科梶谷真司教授によるレクチャーのもと、都立雪谷高等学校に通う全学年の希望者を対象に、「いい文章=分かりやすい文章を書く」ことができるようになることを目標として2日間かけて行われた。そこでは、受講生らの学びを手助けするためにどのように導くことができるかを考え実践しながらも、文章の書き方と書くための考え方について、むしろ受講生の生徒らと共に学んだという表現がふさわしいと思えるような体験をすることができた。

「いい文章」とはどういうものか、という問いについて、今回は「分かりやすい文章」であると定義づけられた。「いい文章を書くためには考えなければならず、考えるためには書かなければならない」という意識づけのもと、一見すると相反するこれら二つの方法を実践するために、まずは深く考えずにテーマから浮かび上がってくる単語やフレーズを思いつく限りに書き出すことから始める。そして、それらを材料として5W1H(誰・どこ・いつ・何・なぜ・どのように)というツールを用い、何について考えるのかがはっきりとした、つまり明確な論点を持った「問い」を立て、それに答えることを繰り返すことにより考えを深めていく。そのようにして醸成された考えを、言いたいことは何か、なぜそのように言えるのかが分かるようにまとめることで「いい文章」が完成する。このように具体的にやり方の型を定めて順を追って思考と執筆を行っていくと、たった2日間の短い時間の中でも、生徒たちの文章力はみるみる上達し、文章力以上に彼らの思考力が磨かれていったことが肌で感じられた。

報告者は文章を書く、特に他人に見せるための自身の意見を述べる文章を書く機会があるごとに、書き始めることができないという問題に直面することが多い。それは報告者が、「いい文章を書くためには考えなければならず、考えるためには調べなければならない」という意識を持っており、まずは他者の様々な意見を知り、さらに思想家の言葉や実際に起きた事件など自身の考えに利用する材料についてしっかりと理解し、最後に文章を構成するために用いる言葉を吟味するといったように、下調べに膨大な時間をかけすぎてしまうことに原因があると考えている。本質を捉えた視点、強いメッセージ性、高いオリジナリティ、洗練された言葉遣いといった自身が納得できるような文章を仕上げるために奮闘するが、理想に反して質が低くなってしまうこともしばしばである。端的に言えば、報告者は悪い意味での完璧主義に陥りやすいのだと自身では分析している。おそらく上記と同様な理由から、報告者はその場で意見を求められるような場面に出くわすと言葉に詰まってしまうことも多く、自身の弱点であるという意識を以前から持っていた。

ところが、「書き方講座」においては、書くための材料は今現在の自分が知っていることだけに絞ることとされ、深く調べ物を行うことは禁止された。多くの知識が無ければ深い考えに達することはできないだろうという報告者の予想に反して、「親友とは何か?」、「規則は何故守らなくてはいけないのか?」といったテーマについて、高校生たちが等身大の視点を持ち、身近な例を挙げながら、何度もチューターとの問答を繰り返すことによって、彼ら自身の深い内奥にあったオリジナリティに溢れる意見を導き出していったことは、驚かされるものであった。講座で身につけた考え方を実践し続けていけば、高校生である彼らがこれから経験するような科目選択や進路選択の時や、大学入学後も訪れるだろう人生における様々な選択を行う時に、自身の奥深くから求めるようなしたいことは何かを考えるための大きな武器となっていくと予感された。それと同時に、報告者も早くから本講座のような文章の書き方と考え方と出会い、実践していれば、現在に至るまで抱えてきた問題を少しでも緩和することができたのかもしれないと悔やまれるような思いも浮かんだ。

このような意識から、自身の経験を元に、日本における「文章を書く」ことを扱う教育の現場に目を向けると、科目としては国語にあたると思われるものの、自身の意見を述べるための体系的なカリキュラムが組まれているという印象は薄い。それは、大学入試での国語の問題の多くが、他者の文章を読み解くこと、その要点を簡潔に記すことを重視しており、自身の考えを記す問題やそれに特化した小論文などの入試科目が取り入れられている大学が多いとは言えない状況と大いに関係していると思われる。自身の考え方を文章に書き起こす訓練を行うことは、その人自身の考え方、最終的にはその人の個性や人格を形作るほどの大事な芯を、自身の力で見出したり他者に伝えたりしていくために非常に重要なことであると報告者は実感している。それが、自然とできる人や自ら努力し学んだ人だけが身につけられる能力であるという現状があるのだとしたら、教育を受けた一人ひとりの生徒だけでなく社会にとっての損害も大きいのではないだろうか。報告者は学部時代から東京大学で学んでおり、幸運にも自分のやりたいことを常にイメージしながら過ごすことができているが、そこに集う優秀な友人たちの中には、自分の将来について確固たる意志や希望をもって学ぶことができていない者が少なからずおり、心底もったいないと感じることが何度もあった。こうした経験は、報告者が目指す大学教員としての教育者像の一つである「後の世代の人たちが本気になって取り組むことができるものを見つけ出す手伝いをしたい」という想いにも通じるものであるが、これまで述べてきたような問題を解決するための鍵は、実は中等教育の中にあったのかもしれないと研修を通じて考えるようになった。

以上、本研修とそれを通じて得られた報告者の考えについて記した。今回、チューターとして受講生らを導くような活躍ができたとは自信を持って言うことができないが、研修中に感じた報告者が以前から抱える問題に対する新たな改善の糸口や、研修を終えてから本報告書を執筆する中で思索した報告者個人の自己分析や日本の教育についての議論は、報告者にとって切実なものであり、それらを考えることができた時間には大きな価値があったと感じている。今後も、自身の持つ問題をしっかりと見つめ、変わっていくための努力をし続けていけば、自分を変え、さらには同じ悩みを抱える他人が自分の力で変わっていくための手伝いをすることができるようになり、今回の経験をより意義のあるものにしていくことができるだろうと考えている。

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報告日:2016年9月1日