2016年度つくばみらい市農業実習夏合宿 報告
西村 啓吾

2016年度つくばみらい市農業実習夏合宿 報告 西村 啓吾
日時
2016年8月8日(月)〜8月9日(火)
場所
茨城県つくばみらい市寺畑の圃場
茨城県つくばみらい市筒戸の古民家 松本邸
主催
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」教育プロジェクト2「共生のプラクシス──市民社会と地域という思想」
協力
NPO法人「古瀬の自然と文化を守る会」
東京大学大学院農学生命科学研究科

2016年度つくばみらい市農業実習夏合宿について報告する。本実習は、茨城県つくばみらい市でNPO法人「古瀬の自然と文化を守る会(古瀬の会)」の活動の一つである「田んぼアート」の創作に参加するとともに、「古瀬の会」の方々との交流活動を通じて、日本の農家や農村について理解を深め、市民社会と地域の結びつきを現場で考えることを目的とした実習である。「古瀬の会」は、農村の文化を伝えていこうという機運の高まりをうけて地域の有志の方々が中心となり設立され、2003年にNPO法人化された。現在は、農村体験や自然観察など地域に根ざした「農」の活動を通じて、都市と農村の交流活動を展開している。その活動の一つである「田んぼアート」は、田んぼをキャンバスに見立て、そこに様々な色の稲の苗を植えることで、実った稲穂により絵や文字を描き出すアート作品のことであり、「古瀬の会」で毎年行われている活動である。

夏合宿では、5月半ばの田植えから始まった今年度の「田んぼアート」のうち、絵と文字以外の背景部分を構成する稲の穂を刈り取り、立体感を生み出す作業を行い、「田んぼアート」を完成させた。また、「古瀬の会」の方々に、2015年秋に茨城県を襲った集中豪雨に伴って発生した鬼怒川の氾濫での体験についてインタビューを行い、地域社会の防災や交流のあり方について考えた。

以下、本報告では、インタビューを通じて考えた、1. 最も印象に残ったこと、2. 他の人に伝えるべきだと思ったこと、3. どのようにして伝えればよいか、という3つの事項について記述する。

まず、最も印象に残ったことは、災害での体験を語る「古瀬の会」の方々に“怒り”を訴える言葉が無かったことである。

2015年9月9日から11日にかけて関東地方北部と東北地方南部を中心に大規模な被害をもたらした「平成27年9月関東・東北豪雨」では、特に栃木県全域と茨城県のほぼ全域で大雨特別警報が発表されるほどの豪雨の影響を受けて、鬼怒川の数箇所で越水や堤防からの漏水が起こり、茨城県常総市において堤防が決壊した1 2。これにより、平地である常総市・つくばみらい市が広範囲に渡り水没し、田畑の汚染や農機具の破損、収穫後の保管米の腐食が招かれ、地域の農家は多大なる損害を被ることになった。この損害に対して、政府からは新規に農機具を購入する際の購入費のうち6割が助成されることになった。また、農業共済の保障対象外であった保管米についても、2015年12月に、被災農家営農再開緊急対策事業として、翌年も米の作付けを行うことを条件に政府から助成が行われることが決まった3。しかし、これらの助成は農業を継続することでしか受けることができないものであり、また、助成を受けたとしても甚大な被害額が残る場合が多く、災害をきっかけに離農した農家も数多く存在する。

多くの農家を離農から救うことができなかった政府や、十分な防災対策を取ることができなかった市の行政、被害地域住民にとって有用な情報を提供できなかったマスコミへの不満や怒りがあったとしても不思議ではないこうした現状に対して、「古瀬の会」の方々は、被害の反省点を冷静に語り、そこに怒りを訴える言葉が出てくることはなかった。それは、報告者にとっては意外であり、最も印象に残ったことであった。

こうした冷静で分析的な視点から語られた被害の経験と反省は、今回の災害に限らず、今後生じる災害に活かすことができるものであり、それらこそが、他の人に伝えるべきだと報告者が考えたことである。

今回の災害を経験した「古瀬の会」の方々のお話を伺い、災害が起きる前と起きた後、それぞれに重要だと思われる反省や考察を知ることができた。

まず、災害が起きる前について、地域内での住民同士の交流や地域における住民と行政との関わり合いの有無によって、災害時の対応や災害への対策が変わりうることが分かった。具体的な話として、古くから地域で暮らし過去の水害の体験を伝え聞いていた住民は、今回の災害において、鬼怒川から氾濫した水が自身の居住地域に達するまでに農機を周囲よりも高い場所に避難させることによって水没を回避し、また車ではなくボートを使うことによって高水位の中でも避難できたようである。また、2014年に竣工したばかりの新市庁舎が浸水したことについても、駅からのアクセスなどの利便性を重視した立地であろうというお話をされていたが、「古瀬の会」の方々は新市庁舎の建設地として決まった場所が昔から水害の被害が大きいエリアであったことを知っていたようである。そうした知識の共有が行政との間にあったとしても、新市庁舎の立地が変わっていたかは分からない。しかし、避難場所であったにもかかわらず電気も水道も機能しなくなり、避難した住民らがストレスの多い避難生活を余儀なくされたという今回の新市庁舎での失敗を振り返れば、こうした事態を未然に防ぐための住民の主張と行政の対策検討は必要なものであったと思われる。

一方で、災害が起きた後の対応として、災害状況や住民への避難指示といった情報の伝達を堅牢なものにすることが重要であると分かった。今回の災害では、住民らに新市庁舎などへの避難が指示されたが、放送などを通じて行われた指示は正確に伝えられたものだとは言い難く、避難については住民個人の判断や周辺住民からの噂に頼らざるを得なかった例もあったようである。中には、自宅が安全な状態であったにも関わらず、「避難しないと罰金が課される」という噂を聞き、仕方なく避難した住民もいたという。また、住民たちが視聴可能であったテレビ報道についても、堤防が決壊した様子ばかりが取り上げられ、浸水の進行状況など地域住民にとって役立つ情報はほとんど得られなかったようである。もし、行政とメディアが適切に協力し住民にとって必要な情報伝達を行うことができれば、災害後の被害を抑えることができるのかもしれないと報告者には思われた。

このようにインタビューにおいて語られた反省は、次の鬼怒川氾濫が起きたときに初めて活かされるものではなく、全国のあらゆる場所で次に起こるかもしれない様々な災害において活かされるべきものであると報告者は考えた。では、どのようにして伝えればよいか。

現在、こうした反省や災害の原因究明は報告書として省庁や各地域の議会主導でまとめられることはあっても、いざ災害が起きた際にまたは災害が起きる前に、人々が手引書のように手軽に参考にできる形にまでなっている例は身近にはあまりないように感じられる。そういった現状の中で、過去の災害から得られた反省やそこから導かれる災害時の対処を人々が広く手軽に知ることができる手引書として、2015年に東京都から都民を対象に配布された防災ブック「東京防災」は、どのようにして伝えればよいかという問いへの一つの答えを示していると思われた4。この「東京防災」には、特に今後30年のうちに70%の確率で起こると言われている首都直下型地震を中心に災害への対策や災害時に取るべき行動が分かりやすく記してあり、その中には、地震後の大規模な火災が原因となり大きな被害が発生した阪神淡路大震災の反省を踏まえて加えられたと思われる記述も存在する。このような、災害時に人々が広く利用することができるように過去の反省をまとめた資料を、地域住民や研究者などの多角的な視点を踏まえて地域ごとに作成することで、災害の被害を少なくすることに役立てることができるだろう。また、こうした資料は、地域住民だけでなく、大きな災害が起きた際に派遣される地域の状況に詳しくない他県の消防隊や自衛隊にとっても、その地域の災害の特徴を手早く把握し適切な対応をとることができる助けになりうると考えられる。

以上、「古瀬の会」の方々へのインタビューを通じて考えた、1. 最も印象に残ったこと、2. 他の人に伝えるべきだと思ったこと、3. どのようにして伝えればよいか、という3つの事項について記述した。これまで農村での生活に触れたり、防災について直接災害を経験した方の話を伺ったりすることは無かったため、今回の機会は報告者にとって貴重なものとなったと考えている。

平成27年常総市鬼怒川水害対応に関する検証報告書」, 常総市水害対策検証委員会, 2015
鬼怒川堤防調査委員会報告書」, 国土交通省関東地方整備局 鬼怒川堤防調査委員会, 2016
東京防災の作成について(ウェブサイト), 東京都庁, 2015
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報告日:2016年10月2日