韓国研修&国際合同学生会議「核心現場と共生」報告
吉田 直子

韓国研修&国際合同学生会議「核心現場と共生」報告 吉田 直子
日時
2016年3月10日(木)〜3月13日(日)
場所
大韓民国ソウル特別市および周辺地域
主催
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」教育プロジェクト2「共生のプラクシス──市民社会と地域という思想」

報告者は、韓国・延世大学のご協力のもと、IHS教育プロジェクト2の企画として実施された3月11日の韓国・仁川訪問と、翌12日の国際合同学生会議に参加した。以下はその報告である。

本企画のコーディネーターである延世大学の金杭先生によれば、この活動は延世大学と東京大学の企画としては今回で3回目であり、ドイツ・エアランゲン大学も加わった企画としては2回目とのことだった。今回は東京大学から2名、エアランゲン大学から1名が11、12日両日の企画に参加、12日の学生会議にはこの3名のほか、韓国側から2名の学生が参加した。

報告に先立って、本企画のタイトルでも使われている「核心現場」という概念について触れておかねばならない。「核心現場」とは、延世大学の白永瑞先生による概念で、例えば南北に分断された朝鮮半島、米軍基地が置かれた沖縄、本国と緊張関係にある台湾や香港など、ローカルな現場でありながら、ナショナル、あるいはインターナショナルなレベルなど、さまざまなレベルでの困難と矛盾が凝縮された現場を指す。報告者は本企画の直前に、プログラム生の自主企画として沖縄で実施した「北東アジア“境界線”ワークショップ」に参加したが、ここでテーマとなった「境界線」のイメージは、この「核心現場」にきわめて近いものであるといえよう。自主企画からの流れの延長線上で参加した本企画は、そうした「境界線」上で起こっているカオティックなできごとに目を向けることの重要性を再確認させてくれた。

本企画の報告に戻る。11日は、金杭先生の案内でソウルの西に位置する仁川を訪問した。日韓線はもちろんのこと、ヨーロッパ方面等へのトランジット等でも利用される国際空港があることで知られる仁川だが、空港自体は対岸の離れ小島にあるとのこと。昔からこの港町は貿易がさかんで(現在も釜山に次いで2番目に大きい貿易港である)、国内外の物流の拠点であったことから、韓国の近代化のさきがけとなった場所であったとの説明を受けた。歴史保存地区に指定された地域周辺は日本人の居留地だったそうで、かつて倉庫として使われた赤レンガづくりの平屋と、日本統治時代に作られたクラシカルな建物が並んでいた。隣接するのは中国人の居留地で、現在はチャイナタウンになっており、その少し先にはイギリス領事館があったそうだ。港から離れた東側のエリアには、現在の北朝鮮から来た人々が住んでいたとのことで、街並みやその成り立ちも含め、横浜を彷彿とさせる場所であった。食文化もユニークで、仁川はジャージャー麺発祥の地として有名なのだが、一方で冷麺のお店も多い。前者は中華料理(といっても中国本土のジャージャー麺とは全く異なっており、韓国では「中華料理」に分類される一品であるにも関わらず、中国本土ではお目にかかれないものであるらしい)で、後者は北朝鮮の名物料理である。また旧市街地の市場を歩くと、アメリカ軍の放出品を売るお店もあり、その混沌とした街の景色に圧倒された。米軍といえば、仁川は朝鮮戦争の流れを変えた「仁川上陸作戦」が実行された場所でもある。この作戦を決行したダグラス・マッカーサーの大きな像が、自由公園と呼ばれる公園にそびえ立っており、韓国においてマッカーサーは、北による共産化を阻止した英雄なのだということを改めて実感した。そのほか、昔ながらの韓国の街並みが残る市街地を歩いたが、その一角にさびれたアパートがあった。聞けばこのあたりは脱北者が多く住んでいる地域とのことだった。その前に訪れた韓国近代文学館に展示されていた日本統治時代の観光地図には、京城(現在のソウル)や仁川の北西に開城(ケソン)という地名も載っており、38度線以北が切り取られた地図を見慣れた目には、かつてここには国境線がなかったことを思い起こさせるに十分なインパクトがあったが、それだけに南北分断が朝鮮半島の人々にもたらしたものの大きさをこのアパートは物語っているような気がしてならなかった。再開発が進み、高層マンション群が広がりつつある仁川だが、個人的にはその片隅にひっそりと残る「北」の痕跡とその行方がとても気になっている。

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12日は、延世大学にて国際合同学生会議「核心現場と共生」が開かれた。「核心現場」の提唱者である白永瑞先生もご同席の中、金杭先生のオープニングトークに続いて、中島隆博先生から本テーマに関するキーノートスピーチがなされた。核心現場は、国民国家とそれに基づく主権のありようを転倒させる場でもある。しかしだからこそ、核心現場で起こっていることを丁寧に分析することで、特に東アジアの和解と共生につながる潜在的な道を開くような、もうひとつの連帯の可能性が見えてくるのではないか、という白先生の問題提起が、ここで参加者全員に共有された。続いて院生による発表が行われた。「日本会議」と政界との関係、10年以上の渡米経験を持つプロレタリア作家である前田河廣一郎の著作の分析、ソ連の農業科学、70年代後半の韓国雑誌における「民衆」の表象と、その内容は東アジアという共通点はあるものの多岐に及び、報告者の理解が追いつかない場面も多々あったが、そのつど中島先生と金先生が投げて下さった的確なコメントに大いに助けられた。報告者は「Representation and Inheritance of Others’ Memories ──From the Case of Himeyuri Students in the Battle of Okinawa ──」(「他者の記憶の表象と継承──沖縄戦におけるひめゆり学徒の事例から──」)というタイトルで、特にひめゆり学徒隊を扱った過去の映画の内容比較とその政治性、及びそれらに対する元学徒たちの動きを振り返ったあと、体験者亡き後の継承の(不)可能性の例としてひめゆり学徒をモチーフにした演劇を紹介した。もっとも報告者としては、単なる事例紹介にとどまらず、他者の記憶の解釈(不)可能性や継承(不)可能性について考察を行いたかったのだが、このような学際的な場では、議論の前提となる事項の説明に時間を要することに加え、自身の英語力のなさも相まってなんとも平坦な内容になってしまったことが悔やまれる。

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発表内容から少し離れるが、個人的に興味深かったのは、韓国における「民衆(민중, Minjung)」という語の使い方である。日本語では「世間一般の人々、大衆」といった意味で使われる語だが、韓国では少し違うらしい。実のところこの発表の間、頭の中にもやがかかったような状態で聴いていたのだが、ふと手元のタブレットで”minjung”を検索してみると、wikipedia にはまず "Minjung is a Korean word that is difficult to properly translate into other languages in a way that retains its historical and cultural connotations"とあり、"are those who are oppressed politically, exploited economically, marginalized sociologically, despised culturally, and condemned religiously" と書かれてあった。果たしてこの発表後、金先生から「韓国語の『民衆』というのは翻訳が難しい概念で…」とのご説明があった。日本語も堪能な金先生ならではのご配慮である。後日自宅に戻って辞書を引いてみたところ、やはり「民衆」や「herd」といった訳しか出てこなかったが、その「難しさ」は、4.3事件にしろ光州事件にしろ、南北分断後の韓国で起きた民衆の蜂起が、総じて共産主義者との関係を疑われ、それを理由に弾圧されてきた歴史を振り返っても合点がいく。たとえ同じ漢字語であっても、単なる翻訳ではなく、いわゆる「文化翻訳」が必要となる場合があることを痛感した。

会議は基本的に英語で進められたが、英語を母語とする話者がおらず、日本語、中国語、韓国語も飛び交うマルチリンガルな環境で、かつお互いに顔が見えるアットホームな会であったこともあり、必要以上に緊張することもなく発表を終えることができた。今後研究成果を英語で発表しなければならない機会が増える院生も少なくないと思うが、このようなゆるやかな場を利用しながら少しずつ経験を積んでいけば、ネイティブばかりの会でも自信を持って発表が行えるようになるのかもしれない。その意味でも貴重な会であった。

今回の研修では、2月の沖縄自主企画に引き続き、金杭先生から多大なご協力をいただいた。この場を借りて感謝を申し上げたい。今振り返れば、言語も含め、韓国と日本、韓国と東アジアの間を縦横無尽に渡り歩く金先生の立ち位置、あるいはそのふるまいそのものもまた「核心現場」であったように思われてならない。

報告日:2016年4月10日