シャンカル・ヴェンカテーシュワラン氏によるショートピース「雪の駅」上演、およびシンポジウム「太田省吾から読み解いたもの──日本とインドの演劇空間から」報告
申 知燕

シャンカル・ヴェンカテーシュワラン氏によるショートピース「雪の駅」上演、およびシンポジウム「太田省吾から読み解いたもの──日本とインドの演劇空間から」報告 申 知燕
日時
2016年11月6日、7日、15–17日
場所
東京大学駒場Iキャパス多目的ホール「駒場小空間」
主催
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」教育プロジェクト1「生命のかたち」

2016年11月6日から11月17日にかけて、プロジェクト1「生命のかたち」主催の演劇ワークショップ、ショートピース上演、およびシンポジウムに参加した。同ワークショップは、太田省吾の「水の駅」を演出し、インド各地で巡回公演を行ったシャンカル・ヴェンカテーシュワラン氏による無言劇のワークショップである。その目的は、「水の駅」の延長線上でシャンカル氏が再解釈したショートピース「雪の駅」を上演すること、そしてその作品に関するシンポジウムに参加することで、演劇および芸術に対する理解を深めることである。

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約20時間にわたったワークショップでは、即興の基礎を学び、ショートピースの上演を準備した。最初の二日間は、シャンカル氏から提示された様々なテーマを体で表現する訓練をした。速度を変えながら歩き、走り、座り、立ち上がる動作を繰り返す中で、「水の駅」の出演者が見せたようなスローモーションに慣れていった。また、一切説明がないまま「雪」を即興で表現し、なぜそのような表現をしたのかを説明したり、あるいは事前に打ち合わせをせず二人で「雪」を一緒に表現したり、6人グループで「道」を表現する、4人グループでニュアンスの似ているいくつかの単語(defiance, resistance, protest)を表現するなどのワークショップも行われた。中でも特に印象的だったのは二人で行う即興であり、当初、自分の中でのイメージもはっきりしない上に相手の意図もわからない状態で、打ち合わせすらないまま行われる即興が上手くいくわけがないと思っていたが、いざ始めてみると意外と簡単に相手と呼吸を合わせられ、感覚的に互いの動きを理解しながら一つの動きを二人で瞬時に作り上げることができ、その不思議な感覚に驚いた。

二日間の準備期間中に参加者たちが見せた様々なアイデアや動き、構図は、以後のショートピースでも活用された。「雪の駅」という題材のショートピースは大きく2つのパートで構成されていた。一つ目のパートは、出演者たちが荒野をさまよいながら歩き続ける場面から始まり、はじめて雪を見た人の観点から、降り積もり始める雪に触れ、寒さを感じ、その存在を理解していく過程が表現された。その中で、一人が何かに対して不意に危機感を感じ、その不安を他の人たちに伝える場面で雰囲気が急変し、二つ目のパートに移行する。二つ目のパートでは「道」と「抵抗」がコンセプトとなっていて、歩く動作から始まり、段々と速度を出して走っていく。徐々に感情が高揚し、その後何かの巨大な力に対して出演者全員が抵抗していくという表現で終わる。この「抵抗」の部分は、準備期間中に出たアイデアが全面的に反映されており、演劇における制作のプロセスの意義を考える上で、特に興味深かった。

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その後、さらに一日半ほどを費やし公演直前まで修正を加えながら完成させたショートピースは、練習中に何回も繰り返した動きで構成されていたが、「上演する」ことで新たな意味が生まれた。個人に与えられる表現の自由度は極めて高かったが、全体的な導線や構図はあらかじめ決められていた。そのため、公演は直前のワークショップと同じことを繰り返すようなものだと思っていたが、観客という存在に見られることで出演者間の雰囲気も練習時とは大分変わり、いつも以上に特別なイメージが見出せたような気がした。またそのような経験をすることで出演者たちの達成感や一体感も大いに高まり、公演は単純に何かを見せるだけの行為ではなく、完成であると同時に過程でもあるのだということを学んだ。

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上演後に続いたシンポジウムでは、シャンカル氏および登壇した出演者を中心とした座談会が行われ、ここでやっと「水の駅」および「雪の駅」についての解説を直接聞くことができた。「雪の駅」は、「水の駅」で見られるような速度の遅さ(slowness)を維持した上で、全く違う要素や新たな可能性を追加することを目標としていたという。なぜならシャンカル氏によれば「水の駅」はすでに音楽や完成度の面でそれ以上手変えられる余地がなかったからであり、そこにカシミールという、雪の降る紛争地域のモチーフを取り入れ、それを参加者のアイデアと結合させることで新たな可能性を試みたという。ただし、二つの作品のいずれにおいても、非個性化(depersonalize)を追求するという点は共通していた。つまり、太田の「水の駅」の目的が、時間に干渉されない(timeless)状態、すなわち特定の条件でしか理解できない状態ではなく、普遍的に理解できるような状態を表現すること(ただしこれは不変ではない)であるとすれば、太田が満州で経験した非個性化の過程を、本上演ではカシミールの紛争のイメージを通じて表現できるのではないか、という意図であった。またシンポジウムでは、インドの演劇が持つ傾向として、二項対立よりは物事の多様な側面を表現できる内容を追求するという話があったが、この傾向のうちにも、太田省吾と通底する非個性化された演劇を生み出すための源泉のひとつがあると感じた。

ワークショップの中で最も肌で感じたのは(陳腐ではあるが)共生であった。出演者は専業の演出家や俳優から、演劇サークル経験者である社会人、そして演劇経験のない大学院生に至るまで、多様な文化的・社会的背景を持つ人々で構成されていた。演劇の鑑賞は好んでも、その一部となって作品を作ることはないだろうと思っていた自分にとって、このような人たちに囲まれて演劇の世界を経験できたことは貴重な機会であり、その一員として自然に溶け込めるように配慮してもらったことにはたいへん感謝している。また、普段は全く会う機会のないような人たちが集まり、それぞれの経験や人生を共有しながら、互いの動きを合わせ、何かを表現していくという行為自体が、芸術を通したひとつの共生ではないかと思われた。出演者の他にも、舞台関係者の作業を真横で見たり、観客席の組み立てやバラシを直接行ってみたりする過程で、今まで知らなかった演劇の制作工程や裏方の作業なども少しながら知ることができ、様々な人たちと共生しながら生きていることを実感できた。

また、上演されたショートピースは、シンポジウムで「まるで干し貝柱を水に入れたらよみがえったようだ」と比喩されたことからもわかるように、過去の演劇作品を再構成することで時代を超え、過去と現在のタイムレスな共生を実現する役割を担っていたとも思われる。実際に太田省吾の劇団に所属し、「水の駅」を演じた経験もある安藤朋子さんにワークショップを参観していただき、時折意見もいただく中で、現在を生きる自分一人の努力ではわからない色々なことを学び、自分が直接見ることのできなかった過去の演劇とつながったという印象も受けた。本ワークショップで経験した時空間を超える共生の感覚を、今後も忘れずに自分の研究や様々な活動で活かしていきたい。

報告日:12月16日