プログラム生自主企画「沖縄スタディツアー」報告
山田 理絵

プログラム生自主企画「沖縄スタディツアー」報告 山田 理絵
日時:
2015年2月13日(金)〜16日(月)
場所:
那覇市、宜野湾市嘉数(嘉数高台公園)、名護市辺野古、東村高江、伊江村(団結道場、公益質屋跡、ヌチドゥタカラの家)、久米至聖廟
共同企画者(順不同)
崎濱紗奈、山田理絵、半田ゆり、城間正太郎
主催:
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」教育プロジェクト2「共生のプラクシス――市民社会と地域という思想」

2015年2月13日から16日まで、プロジェクト2の自主企画「沖縄スタディツアー」に参加した。本報告では、本研修の概要についてまとめた後、大田昌秀元沖縄県知事のお話を振り返りつつ本研修の所感を記したい。

まず1日目は「沖縄国際平和研究所」にうかがい、元知事にお話をうかがった。その後同研究所内にある、「沖縄戦・ホロコースト写真展示館」を見学させていただいた。 2日目はまず、嘉数高台公園に向かった。公園のある場所は沖縄戦の激戦地域であり、今でも戦時に使用された「トーチカ」を見ることができる(写真1)。前日に見学した写真展示館で目の当たりにした沖縄戦の凄惨な様子が思い出され、言葉で表しがたい気持ちを感じた。公園の中には展望台があり、ここから那覇市や浦添市を一望することができる(写真2)。どこにでも見られるような市街地、住宅地のすぐそばに穴が開いたかのような空間が広がっていた。普天間基地の中には軍用機が停まっている様子も見られた。生活圏の隣に基地があるとはこういうことなのだ、ということを視覚的にはっきりと認識した場所であった。

プログラム生自主企画「沖縄スタディツアー」報告 山田理絵
(写真1)トーチカ
プログラム生自主企画「沖縄スタディツアー」報告 山田理絵
(写真2)展望台からの景色

午後は辺野古に移動し、まず海岸付近のテント村にお邪魔した。そこから、在日米軍海兵隊の基地であるCAMP SCHWABゲート付近に向かい(写真4)、周辺での座り込み活動を見させていただいた。最後に、辺野古での基地移設に対する反対デモを見ることができた。

プログラム生自主企画「沖縄スタディツアー」報告 山田理絵
(写真3)辺野古の海岸
プログラム生自主企画「沖縄スタディツアー」報告 山田理絵
(写真4)CAMP SCHWABのゲート前

3日目は伊江島に向かった。バスで島の外延を一周することができ、その穏やかな景色から戦争の影は薄いようにも感じられたが、終戦後はアメリカ軍の軍用機の飛行場として利用されていたという。当時の様子を話して下さった謝花悦子氏によると、「伊江島に帰ることができたものの、その当時は辺り一面まったいらで、住むところもなければ食べるものもなかった」という。

プログラム生自主企画「沖縄スタディツアー」報告 山田理絵
(写真5)団結道場
プログラム生自主企画「沖縄スタディツアー」報告 山田理絵
(写真6)反戦平和資料館
プログラム生自主企画「沖縄スタディツアー」報告 山田理絵
(写真7)公益質屋跡

このような戦後の伊江島の状況、すなわちアメリカ軍の土地収用令と実際に土地が利用されていることについて、伊江島に暮らす人々が反対意思を表明するための運動が起こった。その活動に携わった人々が集った建物が「団結道場」である(写真5)。この建物の外壁には、伊江島の人々がアメリカ軍と折衝する時に守るべき態度を定めた『陳情規定』が描かれており、「反米的」とならず非暴力で冷静な交渉態度を貫かなければならないということが定められていた。これと同じ内容の文言が「ヌチドゥタカラの家」の中にある反戦平和資料館の壁にも描かれていた。ここは、反戦を訴えて執筆活動などを行った阿波根昌鴻が集めた戦時中の生活用品や戦死者の遺品、軍用品などが展示されている資料館である。「ヌチドゥタカラ」とは「命こそ宝」という意味であり、資料館の扉の一つに大きく「命ど宝」の文字が描かれていた。伊江島の訪問の最後に、「公益質屋跡」へ訪れた。建物の壁に残る銃弾の跡は,沖縄戦の激しさをありありと現在に伝えていた。

最終日の午前中は、「福州園」と「孔子廟」、「波上宮」に向かった。沖縄は琉球時代より中国と文化的交流があり、「福州園」や「孔子廟」の存在から、今も沖縄に色濃く残る中国文化を垣間見ることができた。

本研修は、沖縄戦や米軍基地に関係する場所に赴き、様々な立場から「沖縄」に関わってきた人々からお話をうかがうことができた。また、実際に街を歩き、資料館などを訪問することで沖縄という土地に特有の文化的な側面を知ることもできたと言えよう。これまで積極的に「沖縄」に関する事柄に関わってこなかった報告者は、いずれも忘れがたいものとなった。そのなかでも特に、1日目にうかがった大田元知事のお話は印象深いものであった。元知事はまず、沖縄を対象とした学術研究に取り組む大学院生について、日本と海外の学生の特徴や研究の質に関する違いについてお話をはじめられた。その後、ご自身のお仕事に関する経験や交流、研究を通して見てきた「沖縄」や「沖縄問題」について、様々なトピックを挙げて私たちに伝えてくださった。元知事は、労働運動を行っていた社会活動家のダニーロ・ドルチ氏(Danilo Dolci 1924-1997)から投げかけられた言葉が忘れられないとおっしゃった。それは、「政治的なところにある壁は簡単に壊れるようなものではない。だから、壁はひとまず残しておいて、その壁の向こう側に友人を一人でも多く作りなさい」という内容であったという。

本研修に先立って、「映画『標的の村』上映会」という自主企画が行われた。発案者であるプログラム生の崎濱沙奈さんと城間正太郎さんは沖縄出身であり、当初「沖縄出身者以外のプログラム生と共に企画を実行したい」との考えがあったという。報告者は、沖縄出身ではない者として両企画に参加し、フィールドワークと対話を通して、沖縄とその言説に関する知見を深められたことは有益であった。「沖縄問題」全体を理解するのは容易なことではなく、また継続的なコミットメントがあって初めて語れること・語ることが許されることが多くあるのかもしれない。一方、この二つの企画を自身の研究との接続という文脈で考えたとき、報告者は沖縄「問題」でしばしば言及される「当事者性」という論点に注目した。報告者が研究対象とする精神医療・精神障害の「問題」の「当事者性」の語られ方と比較できる点があるように思え、自身の研究を別の角度から見直す契機にもなった。総じて、報告者にとって研修に参加したことは、<目の前にある対立軸が、他の誰かによって作られ残されてしまったものなのか、それとも意図せず自らが作り出しているものなのか>を多様な観点・事象から問うことの一契機になったといえよう。

報告日:2015年3月1日